自分で考える2 インプット、アウトプット。オンプットという言葉はないが

インプットとアウトプットをしようという話。

インプットは本読んだり、講演聞いたり、経験したりすること。

アウトプットは書いたり、話したり、行動に移すこと。

この

1書く・読む(黙読言語)

2話す・聞く(音声言語)

3動く・感じる(その他五感)

の三種類はわかりやすいので指針となる。

とりあえず考えたことはブログに書いてみたり、友達に話してみたり、行動にうつす。

で、読んだり、聞いたり、実地で感じたりして入れていく。

 

上記はアウトとインだけど、その間に、考える、という第三の中間項が入るイメージ。

良い言葉が浮かばないけど、とりあえずオンプットと呼ぶ。自分の中で考えることなので、内外の行き来ではなく、自分の「上」で考えるから「オン」。

語感はなんかどうかなって感じ。もっといい言葉思いついたり他の人が考えてたらそっちに変える。

 

オンプットはじゃあどうやってやるか。

ノートに書き出して考えるのが良いと思う。

朝起きて暇な時間に書き出す。

とりあえず浮かんでくる言葉や思考を書き出して、そこからテーマ絞って展開する。

起床直後暇だから、プランク運動のあとやってみる。

そこで考えたことを、このブログでも記事にしてあげる。

日曜の過ごし方

毎度思うが日曜夜ちゃんと寝ておきたい。

多めに。

眠りが浅いのか。

 

日曜のうちにいろいろ済ませるつもりだったが、ネット見ていた。

とりあえず気になってたページは読み終わったから、次はなんとか。

と思うけれども、時間はどうか。

今週末。

必要なことを直接手を付けてれば、ほかの時間が焦る気持ちで染まることもない。

やるのに抵抗があるとしても、やらずに不安に駆られた時間をずっと過ごすよりいいんじゃないのか。

今日ちゃんと早く寝よう。

休日にならなくても寝ることはできる。

 

休みの日に仕事関係の勉強するのに抵抗があってやらなかったけど、やらないのもこうして体験してみるとよほど不安だった。

一回一日仕事関係の準備してみて、それで見てみよう。

あまりに怖がりすぎてた。一日が終わったときにすごい後悔するんじゃないかと。

しかしやってみないとわからん。

たった一日だし。

飲み

飲み会でいつも思う。私は自慢ばっかりだなと。

褒められたいのだろう。

別にそこまであからさまに自慢してるわけではない。

まわりにもそう受け取られてはいない。

しかし自分の主観としてはそう。

だから、なんかなにやってんだろうという気は残る。

頭の片隅で自分が評価されるような話がこぼれてこないか聞き耳を立てている。

なんか健全じゃない。

終わった後にもやもやが残るのは、愚痴と自慢。愚痴は最初は共感の花が解放感を与えてくれる。でも続くとなぜか閉塞感のような、胸が苦しいような、別に罪悪感とかでなく、単純に部屋が狭くなっていくような天井が低くなるような、感覚に陥る。

 

自慢のむなしさを感じる代表的なところはじつはカラオケ。

カラオケは割と好きだった。行くことも減って声が出づらくなった20代以降は、ちょっと足が遠のいた。

それでも好きだったんだけど、カラオケでうーんとなるのは、やっぱりほかの人と歌うときの選曲。

選曲の方針は三つほどあって、一つは歌いたいやつを歌う。一つはカッコつけるために歌う。三つ目は場を盛り上げるために歌う。

つまり、趣味重視、恰好重視、雰囲気重視。

歌いたいやつを歌うというのはつまり、単純に好きな歌を歌って気持ちよくなること。ある意味シンプルにカラオケの用途そのまま。

メリットは歌と音楽の楽しさを享受できること。リスク・デメリットは、必ずしも歌唱力が追い付いていないと醜態をさらすかもしれないこと。そして周りが知らない曲だとポカンとされてしまい、気まずかったり盛り下がる可能性はある。

例えば自分が楽しくても、歌がドインディーな地下アイドルの曲でしかも歌えてない、とかだとなかなかコメントがしづらい。

 

恰好重視は、音楽好きを自称している痛い部分を前面に出すとやりがち。これは知ってる曲の知識を披露して悦に入るのが主観上の目的。

メリットというか、これをやりたくなる理由は、自分の場合、「こういう音楽がかっこいいんだ」「それをしってる俺」みたいなそういう感覚。歌唱力がついていってなかったり、期待に対して周りの反応が薄いと勝手にがっかりして恥ずかしくなる。

ただやっぱり、積極的に恰好つけないにしても、個人的に「ださい」と思ってる曲を強いては歌いたくないし、せっかく歌うならかっこいいと思われる曲が歌いたい。という欲があるから、これは見過ごせない部分。服とおしゃれのジレンマに近いものがここにはある。かっこつけたいけど、おしゃれと思われたいけど、それを前面に出して自己顕示するのはおしゃれじゃない、という。オシャレという作為を講じながらも、「こなれ感」として作為を感じさせない自然さがある、という背反を実現したい。

 

場の雰囲気に合わせて歌うメリットは、おおむね受けがいいこと。ただリスク・デメリットとしては自分が楽しくない可能性がある。

でも、もしほかの人が知ってて盛り上がれそうな曲をリサーチしてストックしておき、その中で自分も楽しく歌えるものを見つけておく準備がとれるなら、これが無難な選択かも。

よほど気の置けない友達と行くのでもない限り、これ以外の上記二つの選曲方針は痛さをさらすリスクがのこるから、これを第一条件に選曲するのはいいと思う。

 

こういうことをつらつら考えてしまったのは、久しぶりにカラオケに行って、よくわからないまま選曲して勝手に自爆した気分になったから。

 

唄、音楽性、場のための選曲。

歌えるようにしておいて、自分が納得の「いい音楽」で、かつ場の皆の乗っかれる知名度や楽しさのある曲。

そういうのを練習がてら準備しておいた方が、自意識と音痴の狭間で恥ずかしい思いをせずに済むはず。

と、ここまでの準備をたまに行くか行かないかのカラオケにするのかという問題もあるが、歌は歌えると楽しいから悪いことないんじゃないか。

 

朝。

眠りについて。

寝入りで頭がさえてすぐ眠れなかった。

そして寝てからは、寒いような気がしてトレーナーを一枚多く着て寝てみたが、むしろ汗をかいてしまった。

室温をあげてあげないといけない。快適な薄着で寝たいのであれば。

そして尿意。これで目が覚めた。5時前ごろ。今日で昨日に続き二度目。

とりあえず寝る準備を9時ごろ始めるとして、その二時間前までに水を飲むのは止めておきたい。だから、7時まで。夕方6時までの間に十分飲んでおいて、夕食で少し水分とったらそれで終わりのイメージ。7時まで。

寝る前に頭さえてしまうのは、寝る前にその日良かったことと感謝したいことを考える、というのをやっているから。

ポジティブ心理学の本とか、瞑想の本で推奨されていたのでやっている。

でも10個も20個も考えてるうちに頭さえてきてしまうのは困る。

気分はよくなるので、継続はする。

そのうえでもう少しすっと寝たい。

良かったこと5個、感謝したいこと5個、「もし○○がなかったら」という”思考の引き算”(ロルフ・ドベリの『Think Clearly』(サンマーク出版)で知った思考エクササイズ)のイメージをする。

ここらへんはルーティン化してしまえばもう少しスムーズになるはず。

次はなにしよう、って迷ったり考えたりするのが目が覚めちゃう緊張につながるのだと思うので。

あと、室温は帰ったらすぐ換気と暖房始めて、寝るときには寝やすくなるようにしておく。暖房設定温度を上げるのでもいいけど。どっちがいいか。

保留。とりあえず一つずつ試す。服は今日より一枚薄着で。汗が不快だったので。

それを考えること自体に不安が伴い思考が止まるテーマには、小さな行動を投下することで均衡を破る

大事な問題ほど、それを考えること自体に不安が伴うため、考えること自体を避けてしまうことが多かった。

その理由は、まだなにもしていない段階で考え始めるからではないかと思いついた。

 

今日なにもしていないことについては、今後の展望を、変化率ゼロかマイナスに見積もる方向に想像が自然とむく。

その状態でその問題をどうにかしようと考えると、思考のバックグラウンドにはマイナス寄りの想像が自動ではたらくので、思考を続けるほど気づかずマイナスの予想を裏付ける方向に論理が進み、余計に不安になる。

一方で、もし間違いでも適当でも、なにか小さな行動をその問題について起こしていれば、想像曲線は少なくとも今日の0.1のプラスを前提に進むので、思考のバックグラウンドで働く無意識の予想はポジティブなものとなる。

その状態で思考をすれば、よりリラックスして思考できるので、結果的に少しは希望を持って考えることができ、解決策も見出す確率は上がる。

 

行動のよいところは、それが直接の解決策でなくても、自分の未来への想像を不安から少し解き放ち、「その問題について考えてみる」というスタートラインをつくることができる点にある。

そういう風に仮説した。

 

それにしたがって、明日は苦手にしていた人に挨拶するとき、少し目を合わせて会話の契機となる間を、こちらだけでも作ろうと思う。

目を合わせてくるタイプの人ではないので、直接何かを起こすことはないかもしれないが、「0.1歩は決めたとおりにできた」と自分が思えるだけで、次このことを考えるときにはもう少し楽観的に、アクティブに、ちょっと目線を上げて考えることができるだろう。

ただ「保留中」の箱に入れておくよりは、こういう「動的保留」が、自分もポジティブになれそうだ。

 

もちろんこれは仮説であって、明日それを実行したとして、疑り深い自分がこの問題に対する懸念を弱めない可能性はある。

こういうふうに、マインドをハックしようとするときに難しいのは、考えるほどハックしようとしている自分を自覚してしまって、ハックの効果が薄れる気がするということだ。

そこは自分の暗示のかかりやすさを信じたい。

実際やってみるまでどうなるかわからないのだし。

現実に行動を起こすことは、マインドハックの効果を確かにしてくれそうな気がする。

やってみよう。ちょっと怖いけど。

『リズと青い鳥』鑑賞メモ

近所の駅前のローソンで控えめに貼られたポスターの一枚絵を見たときから見に行きたいと思っていた。その手でいい作品にあたったことが何度かあった。

車内広告でみた『君の名は』と『不滅のあなたへ』がそうだった。

どちらも一枚絵に魅力のある絵柄の作品だからそうなることも納得。

広告を出せるような作品はある程度質が保証されているとも言えるけど、そこは置いておく。

 

ともあれ三か月くらい前に前売りチケットのポスターを見てから忘れていた。昨日思い出して見にいった。

いい映画だった。

でも言語的に整理したいところもあったのでそれをつらつら書いていく。

以下ネタバレがあるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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個人的にテーマを読み取ってみた。

「友人同士が互いの今の関係よりも、自分自身の自由を生きること、端的に言うと幸せになることを選ぶこと。そして幼く純粋な関係が変わってしまうことへの恐怖、痛み、その先で変わった二人が再会する喜び。が表現されていた」という風に解釈した。

 

目を奪われた告知ポスターのイラストにも居る、二人の女の子がメインになる話。

大雑把にまとめちゃうと、人間関係に苦手意識を持つ「みぞれ」と、対照的に明るく誰とでも友達になれるタイプの「のぞみ」の二人を中心に話は進む。

 

少なくとも前半にかけては、劇中でカメラは主にみぞれの感情の動きを追っていく。

後半、のぞみの気持ちが明らかになる場面ではのぞみや他の部員たちの様子もカメラは追う。

そこではモノローグのような言葉による説明ではなくて、瞬きや視線の動き、手や足の身振りなど、外側から見える微細な感情のシグナルを丁寧にカメラで追うことで、人物の気持ちを表現する。だからセリフの少ないみぞれの気持ちは、映画の冒頭からそれでも饒舌に伝わってくる。みぞれはどうやらのぞみを大好きなのだという様子がそこから伝えられる。

一方で社交的なふるまいが板についているのぞみの気持ちは、言葉数は多くとも真意は見えづらい。あくまで他の友達たちと同じように気さくに明るくみぞれともおしゃべりする。

 

二人は所属する吹奏楽部で、物語の『リズと青い鳥』をもとに作られた曲を、コンクールの課題曲として演奏していく。

そこではオーボエ奏者のみぞれと、フルート奏者ののぞみが、劇中の「リズ」と「青い鳥」を表していて、重要なクライマックスの楽章では両者の別れを表現する。

その物語がそのままみぞれとのぞみの関係の比喩になっている。

大切な存在をそばから手放したくないと思うみぞれは、リズが青い鳥に別れを告げるクライマックスの気持ちを理解できず、うまく演奏することができない。

みぞれが青い鳥であるのぞみと、別れることができるのか、そもそもなぜ別れないといけないのか、「別れ」とはどのようなものなのか。

みぞれがそれを考えていく様子が、映画の追いかける中心的なテーマだったと思う。







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映画の説明はこのくらいにしよう。

せっかくだし自分の心の動きの方を考えてみる。

僕はこの映画が好きだし、応援したいと思った。

しかし、一人の友達を大切に思う気持ちに、シンクロしきれなかった。

照れ臭かったのか、それとも自分がそういう豊かな人間関係の絆を実感したことがないからか。

みぞれの行動の動機になっている「大好きな友達とずっと一緒にいたい、それはいけないことなのか」という気持ちは、友達についてそこまで切実に想ったことがない自分にはわからない面があった。理屈では理解できるし、それを大切に思う自分でありたいとも思うけれど、映画を見ているときの自分は、そのような感情の動きにシンクロすることができなかった。

高い水準で描かれていたからこそ、それがまだわからない自分が、もったいないというか、さびしいというか、そんな気持ちだった。

その空白を埋めるように、映画のテーマや人物の心の動きを推測して言葉にしていった。鑑賞し終わってからちょっとしたメモにも起こした。

そのための手掛かりはたくさん描かれていたのだし、難しいことではない。

しかし、外側から見える身振りからみぞれたちの心の動きを見ても、僕はそれを推理する材料にはできても、自分がその気持ちに同一化することはできなかった。

ただそれでも、モノローグや叫び声だけで描かれる直接的な感情表現よりも、この映画のように小さな身振りの端々を丁寧に切り取って、そのうしろにある感情を伝える手法の方が、仮にその感情に直接的にシンクロできなかったとしても、抑制が効いていて僕は好きだと思った。

要するに、わからないところもあったけど、この表現手法が好き、ということ。

 

作品のテーマについては、解釈的なメモもしてみたけれど、なんだか映画の余韻に対して野暮な気もするので、ストーリーをいちいち追って心の動きやテーマへの回答をわざわざ言語化するのはやめておく。(あとちょっと長くなるのと、まとまりきってないというのもあります。上映期間が終わったころに気が向いたら書くかもしれません)

 

あとは映画を見ればまっすぐ伝わってくるものと思います。

 

願わくば、リズと青い鳥たちの心の動きを、もしシンクロできなくとも落ち着いた眼で追いかけてみてほしいと思います。そこにはさまざまに丹念な表現のシグナルが織り込まれていて、読み取るのは楽しい経験になると思います。(絵とともに、かすかな音まで配置されたアンビエントな手触りの劇伴音楽も聴きどころです)