それを考えること自体に不安が伴い思考が止まるテーマには、小さな行動を投下することで均衡を破る

大事な問題ほど、それを考えること自体に不安が伴うため、考えること自体を避けてしまうことが多かった。

その理由は、まだなにもしていない段階で考え始めるからではないかと思いついた。

 

今日なにもしていないことについては、今後の展望を、変化率ゼロかマイナスに見積もる方向に想像が自然とむく。

その状態でその問題をどうにかしようと考えると、思考のバックグラウンドにはマイナス寄りの想像が自動ではたらくので、思考を続けるほど気づかずマイナスの予想を裏付ける方向に論理が進み、余計に不安になる。

一方で、もし間違いでも適当でも、なにか小さな行動をその問題について起こしていれば、想像曲線は少なくとも今日の0.1のプラスを前提に進むので、思考のバックグラウンドで働く無意識の予想はポジティブなものとなる。

その状態で思考をすれば、よりリラックスして思考できるので、結果的に少しは希望を持って考えることができ、解決策も見出す確率は上がる。

 

行動のよいところは、それが直接の解決策でなくても、自分の未来への想像を不安から少し解き放ち、「その問題について考えてみる」というスタートラインをつくることができる点にある。

そういう風に仮説した。

 

それにしたがって、明日は苦手にしていた人に挨拶するとき、少し目を合わせて会話の契機となる間を、こちらだけでも作ろうと思う。

目を合わせてくるタイプの人ではないので、直接何かを起こすことはないかもしれないが、「0.1歩は決めたとおりにできた」と自分が思えるだけで、次このことを考えるときにはもう少し楽観的に、アクティブに、ちょっと目線を上げて考えることができるだろう。

ただ「保留中」の箱に入れておくよりは、こういう「動的保留」が、自分もポジティブになれそうだ。

 

もちろんこれは仮説であって、明日それを実行したとして、疑り深い自分がこの問題に対する懸念を弱めない可能性はある。

こういうふうに、マインドをハックしようとするときに難しいのは、考えるほどハックしようとしている自分を自覚してしまって、ハックの効果が薄れる気がするということだ。

そこは自分の暗示のかかりやすさを信じたい。

実際やってみるまでどうなるかわからないのだし。

現実に行動を起こすことは、マインドハックの効果を確かにしてくれそうな気がする。

やってみよう。ちょっと怖いけど。