日本語には「出会い頭」にちょうどいいあいさつがない



なぜTV局ではすべての挨拶で「おはようございます」と言うのか疑問だったけれど、よく考えるとそうとしか言えないのがわかる。

「こんにちは」も「こんばんわ」も牧歌的すぎて仕事の場面にふさわしくないのだ。

感覚的な話になるが、「こんにちは」には丁寧語的な同列の相手への気遣いは含まれているが、上下関係を前提にした謙譲のニュアンスがない。

日本語には敬語がある。がしかし、あいさつには敬語がない。

例外なのは「おはようございます」だけだ。

試しに社長に新人が挨拶している様子を想像してみれば、「おはようございます」といい声で挨拶している様子はしっくりくるが、「こんにちは」だと、散歩中にすれ違った近所の人くらいの敬意は表せても、明確に目上に対して謙譲するニュアンスは示すことができない。

また、「こんにちは」には仕事の場のある程度厳格な雰囲気も溶かしてしまう牧歌性がある。

テレビ局の殺伐とした制作現場で、「おはようございます」の声が飛び交うのは想像しやすいが、「こんにちは」が聞こえるところは想像しづらい。


この「おはようございます」と「こんにちは/こんばんは」の間の違いは、「ございます」という接尾辞が生んでいると思う。

「ございます」には目上への謙譲を示すのにも対応できるニュアンスが含まれる。

だが「こんにちは/こんばんは」にはそれがない。

これが両者を使える場面の差を生み、テレビ局では「おはようございます」だけが出会い頭のフォーマルな挨拶として残るということが起きるのだろう。


また、「こんにちは/こんばんは」は実は打ち解けた仲でも使いづらい。


友達に会って「こんにちは」などと言ったら、「急にどうした?」となる。よそよそしいからだ。それは「こんにちは/こんばんは」に丁寧語のニュアンスがあるからだ。

気のおけない友達が、急にある日他人行儀の丁寧語で話し出したら、なにがあったのかと聞きたくなるだろう。


では「おはようございます」はどうか?このままでは「こんにちは」と同じくよそよそしいが、「おはようございます」は後ろの「ございます」を分離できる。

だから、クラスメイトと朝会ったら「おはよう」と言えばいいし、みんなそうしている。

不自然ではない。


以上をまとめると、「こんにちは/こんばんは」は目上の相手には謙譲のニュアンスが足りず、同列の気のおけない相手にはよそよそしくなる。まさに「帯に短し襷に長し」と言える使い勝手の限られた挨拶であることがわかる。

「こんにちは/こんばんは」は最もポピュラーな日本語の挨拶でありながら、意外と使う機会のない言葉なのかもしれない。

実際僕は、最近の生活を振り返ってこの二つを口に出したときを思い出せない。


しかし、「こんにちは/こんばんは」が出会い頭の挨拶で顔見知り程度にしか使えないならば、友達とすれ違ったらどうすればいいのだろう。

大抵の人は、「よっ」とか、「どうも」、とか「おいーっす」とかを使い分けていると思う。僕は少し顎を引いて小さなお辞儀をしつつ「ぅーっす」と言うことが多い。

このなんとも教科書に載せづらいうめき声のような挨拶が同輩の間で使われるのは、ほかに丁度いい挨拶がないからだ。

それが朝なら、前にも書いた通り「おはよー!」で気持ちよく済ませられる。

しかし朝とも言えない時間帯に、高校の廊下や大学のキャンパスで友人とバッタリ遭遇したらどうするか?

「こんにちは」ではよそよそしい。「おはよう」はもう朝言った。そしたら「おお!おいーっす。どこいくの?授業?」とかそういうアドリブ頼みの字余り挨拶になるだろう。


その点、日本よりも自由な社交が発達しているためか、英語にはこのニュアンスを非常に短く簡潔に伝える言葉がある。

"Hi !"

これである。

ちなみに僕が以前ハワイの学校に行った時には、顔も知らない現地のアメリカンフットボーラーのような青年がすれ違いざまに

"Hey, what's up?"

の掛け声とともにハイファイブ(二人で片方の手のひらを顔の高さに上げて、互いにぱんと打ち合わせるあれ)を仕掛けてきて、僕はさも現地のマナーを熟知したふりをして、気の抜けた"Hey"の返事とともにハイファイブに応えた。彼の手のひらは重かった。


このように、英語圏では、出会い頭に気軽に声をかけられる言葉がある。


日本語には敬語という文化があるが、その反面、同輩との気軽な挨拶は意外と存在していないのだ




※ちなみに、本当にTV局では「おはようございます」が共通挨拶なのか僕は知りません。あくまで例え話として使ってみました。