おおむねうまくいった

前回記事で、苦手だった人に挨拶しようということを決めた。

決めたとおりに今日までで二回朝それを行った。

一秒に満たない瞬間、向こうと目が合いそうな時間だけ、こちらは相手の目を見る。

そうして「待って」みる間をつくるのが目的で、それは果たせた。

しかし、むこうもあっさりしていて、待っても普通の人と同じように、挨拶後すぐ目は逸らされて、私のトライアルは終了した。

自分のなかで決めたことをやれればいいと思っていたので、それは別にかまわなかった。私はやった、と思えればよかった。

 

意外だったのは、そのあとの関係ない場面でのコミュニケーションがスムーズになったことだった。

最初のコンタクトの時点で、こちらから歩み寄る姿勢を実行していたおかげか、自分の方の肩の力、怖がって萎縮している感じが軽減されていたのかもしれない。

それは他のひととのコミュニケーション時にも適用されていて、けっこう笑ったり雑談に興じている自分が目新しく、これが私の思い込みでないならば嬉しい波及効果だと思った。もちろん、この二日の周りの人たちの機嫌が普段よりよかったという可能性もある。しかし気分がいい方にいまは考えていて差し支えないだろう。

 

仮説としては、朝のファーストコンタクト時点で自分が前のめりな姿勢をもっていたから、それが一日のコミュニケーション全体の基本設定を方向づけたのではないかといううもの。

それが、委縮しがちな自分の肩の力を抜いて、オープンなやり取りを生んだ可能性がある。

 

ひとまず、苦手な相手(ともすでにいくつかのやりとりを経て思わなくなってきているけれど)に限らず、一日の自分の心の態勢をオープンに方向づけるきっかけとして、「挨拶時に会話の発生しうる目を合わせる間をつくる」、ということを続けてみる。

 

この仮説が合ってたらありがたい。